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座 禅 猫

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自分をなんて呼ぶ?

自分をなんて呼ぶ?(2004年3月15日)



勉強会の帰りにゴッドマザーのスーザンさんとしばらくおしゃべりしていました。話題は「呼び方」。

心を開くことって難しいね、ってとこから、私

「小さい頃からみんなが自分のことを『お姉ちゃん』と呼ぶので、18で家を出るまで家では一人称が『お姉ちゃん』だった。『お姉ちゃんだから・・・』という気持ちからか、人に弱いところが見せられなくて強がってしまう。」というようなことを話した。

英語の一人称は基本的に『I』だけだから、彼女はびっくりしたよう。「それはかなりアイデンティティーに影響するんじゃないか」と言っていました。

説明不足になったらいけないので、そのグループ内での役割りにあわせて一人称を変えてしゃべるのは一般的だと伝えました。あたし、私、うち、俺、僕、自分、わし・・・と数えていくと十種類はゆうに超えます。時代劇に出てくるような拙者、みたいのも含めればさらにさらに。職業、役割も呼称として使うことがありますし。

子供がいれば『パパ/ママ』と自分を呼ぶのって珍しくないですよね。教師が生徒に向かって『先生はね、』とか。

ああ、そういえば、一番年少の者に視線を合わせて、呼び方が変わるってのもありますね。

子供のいる夫婦で、お互いを『パパ/ママ』と呼び合っていたのが、孫ができると『おじいちゃん/おばあちゃん』にシフトしちゃったり。家庭訪問で教師が生徒の母親に向かって『お母さん、』と呼びかけたり。

英語を話してるとなんだか通り一遍で荒いような気がして(それはもちろん私の英語力のせいなんだけれども)、目上の人にもカジュアルに、明るく感情を込めて話したりするのがちょっとうそ臭いようで抵抗があります。

スーザンさん、「それはおもしろい指摘だ。私からすると誰の前でも常に同じでなければうそのような気がして気がとがめる。」んだそう。

うーん。なるほどそう感じるんだろうな、と理解はできます。

ただ日本人が自分の呼称を変えたからって人格まで変えてるのかっていうと、これまた別のような。一種の約束事みたいなものもあるし。

たぶん人との関係性が重要で、その位置づけによって会話が成り立ったりしてるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう・・・。

スーザンさんは好奇心旺盛な人だから、すごく興味を持って「そういう視点がアメリカ人にも必要だと思う」と言ってくれるのでほっとします。聞く耳もたない極端な人だと「何それ。信用できない」てことになっちゃうしね。

ところで皆さん、自分の事をどう呼んでますか。家庭内では?夫婦や恋人同士でどう呼び合ってますか?



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